文学① ~フランケンシュタイン~

今回のゼミから、石川先生にお越しいただき「文学」についての授業をしています。

フランケンシュタインという英文学を読みました。

 

文学とは

フィクション・ノンフィクション問わず、自分ではない誰かになりきることが可能なエンターテイメントの一種。登場人物たちの人生や感情を楽しむ。

ワクワク!ドキドキ!といった感情。→すべての根底に「言葉」「文字」がある。

様々な作品を通して「人間とは何か」を学ぶ。

これをもとに個人の感想、発見、意見を自分の言葉で伝え、問いに対するグループワークを行います。

 

 

まず初めに、僕の初見の感想を書きます。

物語を読む前に、フランケンシュタイン=怪物というイメージが強いということ。怪物を作った科学者の名前であること。映画化された時の姿が印象強くて、みんながえがいているような怪物の名前がフランケンシュタインとなったということです。

物語全体が悲哀に満ちているようなもので一般的に怪物がかわいそうだなと思われるようなストーリーになっている。しかし、ビクター・フランケンシュタイン側に立つと一概に人間だけが悪いともいえないのかなとも思いました。新しいものを創出しようとするのは、いいことである。むしろ探求心がないとつまらない。この物語だけとは言わず、現代の社会に置き換えても、だれもやったことのないことをやりたい、今までにないものを造りたいというのはあり、ビクターの気持ちも十分にわかる。

いろいろな立場で読み進めることができるのがとても面白い作品になっているなと思いました。本当に1800年代に考えられた作品なのかなと思うくらい内容も構成も作りこまれているなと思いました。初めに読んだ感想は、このくらいです。

みんなの感想も載せときます。

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「人間(クローン人間)を作り出すことの是非」

クローン人間を作ることは悪くないのかなと思いました。理由は、人間に代わるものが作れて共存できれば楽なことはないのかなと思うからです。働かなくても生活できればそれ以上のことはないのかなと考えてしまいます。人間の生活範囲が狭まったり、存在価値がなくならない限りいいのかなと思います。

フランケンシュタインのなにがいけなかったと考えると、造り出したものの人間が制御できるその範疇を超えてしまったこと、怪物の存在、進化を否定したこと、何も想像せずに造りだしてしまうと物語のような悲劇を生むことになる。

 

 

「自己肯定感はどうすれば実感できるのか」

そもそも自己肯定感という言葉自体なじみないなと思いました。

勝手なイメージで、「自己肯定=自信」というようなものを浮かべます。自己肯定感自体、自分を肯定するという過程であり、結果が自信であったり希望なのかなと思います。とりあえず、自分らしく自分の意思で動いていれば自己肯定感は得られるのではないかなと思います。

このテーマについてはイマイチ言葉であらわせなかったり、正直この考えはあっていないかな?と自分でも感じるので他の人の意見を聞いたうえで、また言葉にしていきたいと思います。

 

 

 

文学の授業も最終的にどんな着地をするのか楽しみにしておきます。

ありがとうございました。